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【建築】光の教会/安藤忠雄

尊敬する建築家、安藤忠雄さんの茨木春日丘教会「光の教会」を見学しに行ってきた。

はじめての日曜礼拝はじめての光の教会だったので、感じたことを記録する。

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場所は大阪の茨木市

最寄り駅のモノレール阪大病院前駅からは徒歩10分程度。降りたことのない駅で広く抜けた道幅に徒歩30分掛かるんじゃないか?とビビりタクシーに乗った。結局5分程度で着いた。740円。

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教会に着き、まず礼拝に参加するために受付をしてもらった。

礼拝は10時30分開始だが、見学者の入場は10時20分まで。20分を過ぎると入場を断られることもあるそう。

20分頃から演奏が始まった。オルガンの音が鳴り響いた。

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わたしはクリスチャンではない見学者なので、細心の気遣いと集中力で礼拝に参加した。

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礼拝が始まると受け付けで渡された聖書などを開き、起立して賛美歌を歌ったり、詩編を読んだり、牧師から聖書の話を聞いたりした。

開くページに迷っているとすかさず隣の方が親切に教えてくださる。

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わたしは平成の日本育ちなので、一神教の文化に触れた経験がなくキリスト教文化を深く体感したいと思ったことがなかった。

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神道や仏教の神を信じる(神の存在を信じる以前に物心付く前から普通に受け入れてる)精神は同世代よりも強いみたいなので、外国の宗教でも多神教ヒンドゥー文化の感覚は自然に受け入れられるのだけれど、わたしの心はキリスト文化とは程遠いらしい。

街で見る怪しい伝道師(?)や、ネパールで実際に体験したキツめの勧誘から、どうしてもその宗教の考え方を受け入れて共感することが出来ずにいた。

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しかし、大好きな建築家の教会を見学するためにこうして礼拝にお邪魔しているので、その感覚を体感したいと思った。

途中からわたしは牧師の言葉とイエス・キリストの存在を受け入れることだけに集中した。

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しばらく集中していると牧師の話にストレスを感じなくなってきた。

心も落ちついてきたので、イエスの姿を想像しようと目を瞑ってみた。

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すると、教会の構造上、着席していると必ず十字架の光が目に入るようになっていたので残像が目の奥に残り、

目を閉じると、暗い目の奥のモワモワした背景にクッキリと十字架が映って見えた。

色は蛍光緑だった。(※主観色といいます)

そして、その残像の十字架はわたしの頭の中に想像したイエスの姿と重なった。

目の裏側に見えるイエスの姿は、牧師の言葉(ポンテオ・ピラトの話をしていた)も相まり具体的に見え、想像が加速した。

色々と考えた。

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わたし自身は、自分の存在自体がそもそも罪だと思っている人種のため、罪を感じる者は、その罪は死ぬまで一人で背負うべきだ。と考えているのだが…

目に涙が溜まるほど深く考えていると、救いを求めてイエスに懺悔して赦しを乞い祈る人がイエスの慈愛と犠牲によって赦されるシステムがだんだんと消化できて最終的に飲み込めたような気がした。そうなんだな。と思った。

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その次に「イエスがこの世を見ていたら…」と考えた。そう考えてみると、重い気持ちを一手に引き受けているイエスを想うとなんとも言えない気持ちになった。

もう何の気持ちか分からないくらい大きくて長くて壮大で質量のある沢山の何かが胸に乗ってくる感覚になって、ちょっとだけ涙が出た。 

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なぜ涙が出たかは分からない。

だけど、その時、こんな人々の罪を何千年も一手に引き受けてたら、例え神だとしても、または亡くなった一人の人間だとしても、辛くなってしまうんじゃないか?じゃあイエスの心のケアは誰がするんだ?と思ったのかもしれない。 

神だからって、死んだ人だからって、ここまでやって良いのか?

色々と考えてたら1時間があっと言う間だった。

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しかし、こんな全国でこんな礼拝が毎日行われてるんだ。と思うとイエス・キリストへの一点集中と負担が本当に本当に心配になった。

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もうちょっとみんなイエスを労って、自分で出来るところは処理できないのかな?と思った。

話を聞いてても礼拝での感謝では賄いきれないくらいイエスに精神的に依存し過ぎなのではないか?

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…まだ少ししか話を聞いてないので、もうちょっとキリスト教の心を勉強したいなと思った。

 

■受付で渡されたもの

・聖書

・賛美歌

・交読詩編

・礼拝献金の封筒

・今日の礼拝内容が書かれたプリント

・礼拝出席の注意事項のプリント

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礼拝後は、目的だった建築を観察した。

光って平等なのに、どう遮るかでこんなにも違うんだな。と改めて思った。去年の年末にわたしの尊敬する人の一人になった安藤忠雄さんが更に好きになった。

写真を撮り終えた後は建築学生2人と話しながらカレーとお漬物をいただいた。わたしたちにまで美味しいカレーを提供していただけて嬉しい。(300円)見学者はわたしたちを含め7名、教会には60〜70名程居たと思う。学生さん2人には最新の建築情報をいただけて嬉しかった。

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帰り際に、記念として安藤忠雄さんのサイン入りポストカードを買った。(ちょうど先週の日曜日、ご本人が数年ぶりに来たらしい…)

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受け入れてくださった関係者の方、わたしの疑問に答えてくださった近くに居た方、キリスト教について教えてくださった関係者の方、建築についてお話してくれた建築学生さんと関係者の皆さま、ありがとうございます。

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とても良い経験だった。こんなにも受け入れてもらえるとは思っておらず、色んなお話が聞けて本当に嬉しかった。どうもありがとうございました。また行きたい。

 

★注意★

※見学・礼拝の参加には事前予約が必要です!

教会は、観光施設ではなく悩みの中で道を見いだそうとしている方や、神に心からの感謝を捧げたい方たちが祈りに集まる場所。見学をされたい方は、お邪魔する謙虚な気持ちを忘れずに、ホームページを熟読して予約してください。

https://ibaraki-kasugaoka-church.jp/j-top.html

なお、コロナウイルスの問題からしばらく見学はしないそう。

アクセス 

近鉄バス 春日丘公園 徒歩5分

■モノレール阪大病院前駅 徒歩13分

http://ibaraki-kasugaoka-church.jp/j-access.html